□明初〜弘治・正徳
現時点の研究では五彩の起源は元にあるとされ、明初期をつうじて青花に倣いつつ、さまざまな過程経て、ついに成化期に豆彩を作り上げる。官窯でしかつくることのできない採算性を問わないものづくりは、完全な形で豆彩を生み出し、その端整な姿と淡く優美な色彩は後世の人々を魅了した
□嘉靖〜萬暦
この時期、民衆の力が増すとともに国内経済は活性し、陶業もその影響を受けて景徳鎮の生産は倍増、陶工の数も増え分業化が進むようになった。それまでの基軸であった青花においては民窯の参加(官塔民焼制)により自由な生産体制が布かれ、新しい装飾方法の五彩に至ってはより注目される技法として更なる発展を遂げる
□民窯
青花と同様に、民窯は官窯とともに当初より存在し、官窯に対しての技術的遅れを自由な発想で補っていた。初期の段階に民窯五彩についてはまだ分かっていない部分が多く、民窯がその活動の範囲を広げた嘉靖期の研究が進んでいる。その多くが味わいある趣で茶道の世界と合致していたために、日本では大変持てはやされ、多くの遺品が伝わっている
天啓赤絵・南京赤絵については古染付へ
□金襴手
嘉靖頃、五彩に金彩を施した磁器のことを日本で金襴手と呼んだ。技術的な意味合いよりも様式として捉えられることが多く、他の民窯五彩と同様に日本に多くの遺品が伝わる。器形や文様の多様さと金彩と五彩によるあざやかな色彩は、それまでにない艶やかさを陶磁器の世界にもたらした
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<明 成化 豆彩鶏文盃>

<明 萬暦 赤絵双龍文皿>
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