唐三彩

中国・唐代につくられた低火度焼成の三彩陶のこと。陶質の素地に白化粧あるいは透明釉を掛けたのち、緑や褐色の鉛釉を加えることで三つの色が互いに入り混じり独特の文様をあらわす。コバルトの藍釉が加わったもの、緑・白,青・白といった二彩のものを含めて呼ぶことが多い。 主として洛陽・長安における貴族の葬礼及び明器(副葬品)として使われ、そのために様々な器形や人形,家財をかたどったものがつくられることとなった。その美しさと技術は渤海三彩・遼三彩・宋三彩・新羅三彩・奈良三彩・ペルシア三彩といった広範かつ長きに渡って多大な影響を与える。

唐時代
618年、隋末の乱に李淵・世民父子が立てた王朝。以後、907年朱全忠によって滅ぼされるまでの20代300年あまり続いていく。律令格式を基礎とする中央集権的な国家を確立させ、友好的な対外政策をしいた。都は隋代の大興城を改称して長安城とし洛陽城とともに継承する。 この二つの都を中心として、シルクロードを通して伝わった西域・地中海の政治・経済・文化をうまく吸収していき、詩人の李白・杜甫・王維、敦煌莫高窟や龍門石窟、そして唐三彩を生み出すなど芸術面においても大きな開花を見た時代であった。周辺諸国にも多大な影響を与える。

唐三彩の発見
光緒31年(1905)開封と洛陽をむすぶ隴海鉄道の敷設工事が歴代の有名な墓葬地である洛陽北(ボウ山)にかかった際、大量の三彩を発見し、以後全国で発掘調査が進められている。唐三彩が出土するのは陜西・河南・揚州・遼寧・江蘇・山西・甘粛・江西・湖北・広東(1995年時点)といったかなり広い地域で、なかでも陜西省の西安と河南省の洛陽が特に出土が多く、次いで江蘇省の揚州が上げられる。西安と洛陽は政治・経済の中心的な存在であり、揚州はシルクロードの中継地であったことがその理由とされる。

華麗な装飾
唐三彩の装飾方法としては貼花・刻花・印花といった技法が上げられ、宝相華・唐草・蓮華・蓮葉・魚子・動物・人物などの文様と緑・褐・白・藍釉の流斑あるいは点彩をうまく組み合わせていくことで、その器体にあった華麗な三彩の美しさを表現していった。

様々な姿形
南北朝・隋代より受け継がれた西方文化の影響は唐代になっても息づき、三彩という表現方法を得たことによって多くの意匠を生み出すこととなる。型づくり,轆轤,練り塑,彫刻などの手法が用いられ、造形的にも高い水準を保つことができるようになった。
鎮墓俑 :鎮墓獣、武士俑、天王俑、文官俑、十二支神俑、角端
<角端とは胴は牛、尾は猿、足は虎、鼻は像のそれで人間の言葉を解し、一日に萬里を走る伝説の霊獣>
儀仗俑 : 男騎俑、女騎俑、武士騎俑、楽舞俑、騎射俑 侍僕俑 : 侍従俑、執役俑(男女共)
動物俑 : 馬、駱駝、驢馬、羊、犬、猪、鶏、鴨、鴛鴦、獅子、猿、象、虎、牛
飲食器 : 盤、碗、杯、鉢、盂、盆 貯盛器 : 罐、壷、瓶、奩
日用品 : 唾壷、水注、枕、硯、盒、燈、炉、塔式罐
建築材 : 瓦 ほか装飾品
玩具 : 厨房、車、銭櫃、山、池、厠、倉庫、小魚、小獅子、小象、小羊、小犬、小馬、小鶏、小猿
※資料 中国唐三彩<朱裕平> 1995.11.30

参考文献
(和文)
平凡社 陶磁体系35 唐三彩 小学館
世界陶磁全集9 隋・唐
太陽社 中国の三彩陶磁 三上次男他
至文堂 三彩(日本の美術76)
小山冨士夫 平凡社 唐三彩(陶器全集25)

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三彩共葢万年壷

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