世界の美術品はどう動くのか
中国陶磁市場から見る流通の変化

私が中国陶磁の国際市場を本格的に見るようになったのは、2000年代に入ってからです。それから二十年以上が経ちましたが、その間に市場の姿は大きく変わりました。中国本土の買い手の登場、オークション会社の台頭、インターネットによる情報の共有、そしてコロナを境にしたオンライン化。価格も大きく動きました。しかし市場を長く見ていると、価格の上昇や下落だけでは説明できないことがたくさんあります。
そもそも中国陶磁は、誰が見つけ、誰が価値を判断し、どのような経路を通ってコレクターの手に渡ってきたのでしょうか。今回は私自身が見てきた約二十年間を中心に、それ以前の市場にも少し遡りながら、世界と日本で中国陶磁がどのように流通してきたのかを考えてみたいと思います。
ディーラーが市場を支えていた時代
現在では中国陶磁の市場を考えるとき、サザビーズやクリスティーズなどのオークション会社を思い浮かべる人も多いと思います。しかし、かつての中国美術市場ではディーラーの存在感が今よりはるかに大きなものでした。特にロンドンには、Spink & Son、John Sparks、Bluett & Sonsなど、中国美術を扱う有力な業者が存在しました。
彼らは単に店を構えて作品が持ち込まれるのを待っていたわけではありません。海外にネットワークを持ち、作品を仕入れ、それを研究し、コレクターや美術館へ紹介する。John Sparksのように上海に拠点を置き、中国から直接作品を仕入れていた会社もありました。こうしたディーラーは、作品の発見から評価、研究、販売までを担う市場の重要な存在でした。
ディーラー同士の取引も盛んでした。良い作品を持つ業者のところへ別の業者が訪ね、そこから作品を買う。それを自分の顧客へ紹介する。作品はそうした専門家のネットワークの中を移動していました。オークションはもちろん当時から存在していました。しかし中国美術についていえば、現在ほど市場全体の中心に位置していたわけではなかったと思います。
オークション会社はなぜ大きくなったのか
オークションそのものの歴史は非常に古いものです。サザビーズは1744年にロンドンで最初の競売を行い、クリスティーズも1766年に創業しています。それだけ長い歴史がありながら、現在のようなグローバルな存在へ変化していくのは、もっと後のことです。
サザビーズの場合、1964年にニューヨークの大手オークション会社Parke-Bernetを買収しました。そして1973年には香港で、国際的なオークション会社として初めてオークションを開催します。この香港市場の立ち上げに大きく関わったのが、後にサザビーズの中国美術部門を率いたJulian Thompsonです。
香港で最初のオークションが行われた1973年は、後から振り返ると一つの象徴的な出来事だったと思います。欧米を中心としていた市場に、アジアのコレクターが本格的に加わっていく入口の一つになったからです。その後、日本、香港、台湾、シンガポールなどからも多くの人が国際市場へ参加するようになります。
市場が大きくなれば、従来のディーラーのネットワークだけですべてを担うことは難しくなります。世界中から作品を集め、世界中の買い手へ同時に紹介できる公開市場として、オークションの役割が次第に大きくなっていったのだと思います。1960年代、70年代から進んでいた市場の国際化が、のちのインターネットや世界経済のグローバル化と重なり、2000年代になって一気に花開いた、というのが私の感覚です。
大きな組織だからできたこと
もう一つ、オークション会社が力を持つようになった理由として、組織の大きさがあったと思います。優れた専門ディーラーは、作品を見ることに関して非常に強い。その分野について長い経験と知識を持ち、作品を見極めることができます。一方、大手オークション会社にはスペシャリストだけではなく、マーケティング、PR、法務、コンプライアンス、リスク管理など、さまざまな部門があります。
世界中から作品を集め、調査し、撮影し、カタログを作り、展覧し、それを世界中の顧客へ伝える。市場がグローバルになればなるほど、こうした組織としてのスケールメリットが大きな力を持つようになりました。オークション会社は単に「作品を競りにかける場所」ではなくなったのです。
作品を世界へ紹介し、人々の関心を集め、新しい買い手を市場へ呼び込み、ときには新しい価格の基準を作る。2000年代以降、オークション会社が中国美術市場のプライスリーダーとして大きな存在になっていった背景には、こうした変化があったと思います。
世界を巡回していたディーラーたち
私が国際市場を回っていた頃には、一年間のかなり明確なサイクルがありました。春はニューヨークから始まり、香港、ロンドン、パリへ。夏を挟んで再びニューヨーク、香港、ロンドン、香港、そして年末のパリで一年を終える。世界各国のディーラーは、このオークションのスケジュールに合わせて移動していました。
しかし目的はオークションだけではありません。ニューヨークやロンドンではAsian Art Weekがあり、美術館の展覧会、研究者による講演、ディーラーの展覧会、レセプションなどが集中していました。香港へ行けば香港の業者やコレクターを訪ね、ロンドンへ行けばロンドンの業者、そしてコレクターを訪ねる。そこで実際に作品を買うこともありました。
さらにフランス、イギリス、ドイツ、イタリアなどには、大小さまざまなローカルオークションがありました。当時はまだインターネットに情報を出していないところも多く、実際に現地へ行かなければ何が出品されているのかさえ分からないことがありました。つまり、そこへ行くこと自体が情報だったのです。
中国本土の参加で市場が変わる
1990年代後半、中国美術市場は決して活況とはいえませんでした。それが2003年頃から中国本土の買い手が国際市場へ徐々に参加するようになり、状況が大きく変わっていきます。最初に強く求められたのは、技術的な完成度が高く、色彩も豊かな清朝の陶磁でした。
特に2010年から2012年頃は、オークションが行われるたびに価格が上がり、それまで持っていた相場観では追いつかないほどでした。やがてコレクター自身が学び、明代へも関心が広がります。また中国国内で研究や発掘が進んだことで、隋の白磁や明代の空白期の作品など、それまで十分に注目されていなかった分野にも関心が向けられるようになりました。市場が大きくなっただけではありません。買い手自身の知識と経験も蓄積され、市場そのものが成熟していったのです。
日本では違う流通が発達した
一方、日本には欧米とは少し違う流通の仕組みがありました。当時の日本では、美術品の公開オークションは現在ほど一般的ではありませんでした。所有者が長年付き合っている業者へ相談し、業者が買い取る。あるいは業者を通して交換会へ出品する。そこで別の業者が買い、最終的なコレクターへ紹介する。交換会とは、限られた美術商だけが参加できるディーラーズ・オークションです。
一見すると何人もの業者が間に入っているように見えます。しかし、それを単純に「中間業者が多い」と考えるのは少し違います。作品を見つける人がいる。価値を正しく判断できる人がいる。資金を持っている人がいる。そして、その作品を求める顧客を知っている人がいる。それぞれが違う役割を持ち、作品を次の人へ渡していくことで流通が成立していました。
そして、その基礎にあったのが信用でした。日本の大きなコレクターには、長年出入りしている業者がいることが珍しくありませんでした。何を買うかだけではなく、何を買わない方がよいのかまで率直に話す。価格や条件だけではなく、「この人なら任せられる」という長期的な人間関係によって市場が動いていたのです。
日本の業者が持っていた「時間」
日本の美術商について、もう一つ重要だったと思うことがあります。比較的長期間にわたって仕事を続ける業者が多かったことです。欧米のディーラーにも長く続いた名店はありますが、専門ディーラーは基本的には小さな組織です。一代、二代という単位で主役が交代し、新しいディーラーが市場を担っていくことも少なくありません。
日本では家業として何代にもわたり仕事を続ける美術商が比較的多く存在しました。そのため、作品を見る時間軸も長かったように思います。買った作品をすぐに売らなければならないのではなく、「これは良い作品だから、いずれ正しく評価される時が来る」と考え、長く持つことのできる業者がいました。これは日本の美術市場が持っていた一つの特徴であり、恵まれた部分でもあったのではないでしょうか。
日本から海外へ
ところが2000年代以降、この日本市場と世界市場の間に大きな価格差が生まれます。海外では中国陶磁の価格が急速に上昇する一方、日本国内の需要は縮小していました。日本には近代以降、さらに戦後の経済成長期までに集められた中国陶磁が大量に存在していました。つまり、作品はある。しかし国内で買う人が少ない。
そこで交換会などで日本の業者が買った作品を海外オークションへ出品する、あるいは海外の顧客へ直接紹介するという流れが強くなりました。2010年頃には多くの業者が海外との価格差に気づき、結果として相当数の中国陶磁が日本から海外へ移っていったと思います。
情報が世界に開かれた
同じ頃、インターネットも市場を変えました。かつてはヨーロッパの地方オークションへ実際に行かなければ出品物さえ分からなかった。それが2015、16年頃までには、東京にいながら世界中の出品物を確認できるようになりました。これは非常に便利な変化でした。しかし同時に、世界中の人が同じ情報を見るようになったということでもあります。
以前なら地方の小さなオークションで発見された作品が、後に大手オークションへ出て大きな価格になることがありました。それが次第に難しくなりました。インターネットは市場を広げると同時に、世界の市場を平準化していったのだと思います。
セールルームから画面へ
そしてコロナによって、人の動きも大きく変わりました。以前ならニューヨークへ行けば、いつもの顔ぶれがいました。プレビューで作品を見ながら話し、夜は食事をする。翌日のオークションでは誰が何に入札しているのかを見て、次は香港でまた会う。形式上は世界に開かれた公開市場でしたが、その中には世界を巡回する一つのコミュニティが存在していたのです。
現在ではプレビューだけを見て帰り、入札はオンラインということも珍しくありません。市場の中心が、セールルームという物理的な場所からネットワーク上へ移ったともいえるでしょう。
流通の形が変わっても
では、インターネットによって情報が開かれ、オークション会社が大きな力を持つようになれば、ディーラーは必要なくなるのでしょうか。私はそうは思いません。
価格や過去の落札記録、類似作品といった情報は、今後AIによってさらに簡単に得られるようになるでしょう。だからこそ、情報を持っていること自体ではなく、長年の経験と知識を使って、その情報をどう解釈するかが重要になります。現在の価格だけではなく、作品そのものの質、美術史上の位置、希少性、過去に見てきた類例、そしてコレクション全体の中でその一点がどのような意味を持つのか。
オークションにはオークションの役割があり、ディーラーにはディーラーの役割があります。そして日本では、長期的な信用関係を基礎にした独自の流通が作品を支えてきました。市場の仕組みはこれからも変わっていくでしょう。しかし、良い作品を見つけ、それを理解し、次の人へつないでいくという仕事そのものはなくならないと思います。
昔の記録を見ると、過去には素晴らしい作品がいくらでもあったように見えます。しかし私の祖父が1970年代頃に書いた文章にも、すでに「納得して買える作品がなかなかない」という趣旨の記述があります。今から見れば、宝物がいくらでもあったように思える時代です。それでも、その時代を生きた人にとって良い作品を得ることは簡単ではなかった。
おそらく、それはいつの時代も同じなのでしょう。市場がどのような形になっても、今ある作品の中から自分が本当に良いと思えるものを探す。その作品を次の時代へつないでいく。中国陶磁の市場を長く見ていると、流通の仕組みは大きく変わっても、その部分だけはあまり変わっていないように思います。
―平野龍一
