綿布を使う理由

絵画の世界では、キャンバスの布や木製パネル、その上に塗られる下地など、絵の具を受け止める土台のことを「支持体(しじたい)」と呼びます。人間で例えるなら、支持体は骨であり、その上に重ねる絵の具は肉です。そして細密に描き込まれた表面の描写は、まさに皮膚のようなものです。土台がしっかりしていなければ、どれほど美しい色彩を重ねても、絵はやがて支えを失ってしまいます。
油絵の支持体といえば、長年にわたり麻(リネン)が最高級、そして主流とされてきました。美術館に並ぶ名だたる巨匠たちの作品も、その多くは麻布や板の上に描かれています。歴史的に見れば、麻は紀元前からヨーロッパで脈々と受け継がれてきた、いわばプロ仕様の伝統的な素材であり、一方で綿は、産業革命以降に近代の技術で急激に普及した、大衆的で現代的な素材です。美術の歴史という物差しで見れば、王道の麻を選ぶほうが自然なのかもしれません。
そんな中で、私が愛用しているのは綿布(コットン)です。展覧会の会場で、作品のキャプション(解説や材料の表記)を見て「麻ではなく綿なのですか?」と、不思議そうに尋ねられることも少なくありません。綿布を使うようになった原点は、東京造形大学での学生時代、古典技法の授業で出会った白亜地(はくあじ)という伝統的な支持体にあります。
石膏の粉末と膠(にかわ:動物の骨や皮から作る天然の接着剤)を混ぜ合わせて作るこの下地は、当時の私にとって新鮮な驚きでした。温めながら溶かした膠はなかなかの曲者で、すぐにゼリー状に固まってしまったり、濃さを間違えるとパリパリに割れてしまったりと、まさに生き物のようにデリケートです。
その膠に石膏を混ぜ、木製パネルに貼った綿布へと刷毛で何層も塗り重ね、乾燥後にヤスリでていねいに磨き上げる。そうして生まれた支持体の表面は、まるで陶器のように真っ白で、うっとりするほどなめらかな平面へと生まれ変わります。麻のキャンバスでは決して得られない、どこまでも緻密な表現を受け止めてくれるその土台づくりを通じて、私は初めて綿布という素材に出会いました。この学生時代の経験が、私のなかに鮮烈な記憶として深く刻まれたのです。
その後、作家として歩み出すなかで、現在の制作においては白亜地ではなくアクリル系の下地へと進化させましたが、あの学生時代に出会った綿布という素材へのこだわりだけは、ずっと手放せずにいます。
私が使用しているのは、強く引っ張れば破れてしまうほど薄い綿布です。もちろん、そのまま木枠に張って絵を描いているわけではありません。まず頑丈な木製パネルを用意し、その上に綿布を膠でしっかりと貼り付けてしまいます。これは学生時代に習得した、白亜地をつくる前段階の工程と同じです。膠は乾くと驚くほど硬くなり、木製パネルと綿布、そして膠が一体化して強固な骨となり、肉と皮膚を支えるのです。
描くときの心地よさにおいても、綿布には独自の魅力があります。麻布は、木枠に張ったときの強い張りや弾力により、筆のタッチを活かした表現に向いています。一方、私の使う綿布は木製パネルに密着しているため、表面的に柔らかくしなることはありません。強い圧力をかけて絵の具をのせる際にも布が伸びてしまう心配がなく、その揺るぎない硬さが、絵を描くことに没頭する私に確かな安心感を与えてくれます。また、麻布特有の繊維の節や粗い織りムラが綿布にはなく、目が細かく均一なので、布のテクスチャに左右されず、絵の具そのものの質感を活かしながら、滑らかな質感や美しいグラデーションを積み重ねていくのに最適なのです。
少しゴワゴワとした、漂白されていない綿布を私は好んで使っています。ほんのりと黄ばんだその素材に触れるたび、これから始まる制作への静かな高まりを感じます。自らの手で絵画の骨となる支持体から構築していくこのプロセスは、私にとって欠かせない、大切なこだわりなのです。
―藤田勇哉
