OIL PAINTING 油彩画
手の中で新たな命となり蘇る
古典的な静物画は、すでに完成された芸術であり、時代を超えて多くの人々を魅了し続けている素晴らしい芸術作品です。17世紀ネーデルラント、静物画を得意とするコルネリス・デ・ヘーム(Cornelis de Heem,1631-1695年)。私は彼の絵に心を奪われ、大きな影響を受けました。その透き通るような葡萄の表現に。まだ自分の絵が確立されていなかった時期、私は彼の葡萄の表現を模範としていました。当時ヨーロッパの静物画家にとって、葡萄は画家の技量を計るモチーフと位置づけられていたそうです。私は日本に生まれ育ちましたが、私にとって油絵を画くことは、西欧美術への尊敬と共にあり、彼らからこれからも多くのことを学び続けていくでしょう。今でも葡萄は重要なモチーフであり、私を支える大きな支柱です。
私はしばらくの間、室内空間に花、果物、調度品といった、西欧の静物画のスタイルを踏襲していました。しかし次第に自分自身の欠如に気づき、それを見過ごすことができなくなりました。また伝統的なスタイルの中にいるだけでは不十分だと考えたのです。自分の描きたいものを、描きたいように描いてみよう、そう考え描いた絵が「YF78(2007年)」でした。この絵を契機に次のスタイルが確立されていきます。それは私自身が生きている環境を反映していました。狭い窓に切り取られた単純な景色。シンプルな家具に囲まれた生活。踏み込みすぎない他者との距離感。幼少期を過ごした広々とした郊外は徐々に住宅で埋め尽くされ、自然は失われ、急速に別の街へと変貌していきました。モノの本質や全体像が見えづらくなっている環境の中で、私自身の感じ方も変化していきました。そして新たに描き始めた絵は、いまの私の感覚に近づいているように感じられました。描こうとする対象をキャンバスの中で大きくトリミングし、その背景をひとつのトーンとマチエール(絵肌)にまとめる。構図、色彩のふたつを極限まで洗練させていくことで導かれた「新しい美学」を私は獲得するようになったのです。

大学生の時、白亜地の作り方を学び、テンペラ画の技法で描いていた時期がありました。その頃からずっと綿布を使用しています。キャンバスに比べて、綿布はきめ細かくて柔らかく、その肌合いが、私の描き方には合っているように感じます。また、油絵の場合、艶がある状態が普通で、場合によっては完成後に画面保護の観点から全体にニスを塗ることもありますが、私は艶が少ない状態を好んでいます。少しザラザラして乾いているような感じや、わずかに湿っているような肌合いは絵の中に入っていけるような親近感があり、私の絵のイメージをつくる重要な要素です。
油絵を画くこと。フランス。私にとってこの2つは、強く結びついています。少年期に出会った油絵の先生がフランスで絵を学んだ人だったことがその源だと思います。先生の画室の書棚に並ぶ画集は、フランスへの憧れを募らせました。果物を描くときも、花を描くときも、私の頭の中にはフランス、特にパリの空気や色彩のイメージがあります。実際にパリを訪問するようになると、そのイメージはより鮮明になりました。蚤の市で気になる古道具を買い集め、それらは新しいモチーフとなりました。使い道を失った錆びた缶や紙箱に、私は心惹かれました。かつて見知らぬ誰かが使っていたこの缶は、いま私の手の中にあり、息を吹き返し、絵を描くことで新たな命となり蘇る。果物や花を描く場合でも同じことです。それは、ずっと考え続けてきたこと、私はなぜ絵を描いているのだろう? この問に対する現時点での答えです。

2020.8 藤田勇哉
DRAWING 鉛筆画
存在を紙に刻む
2003年当時の私は、週に2日は美術予備校で講師を務め、残る5日はアルバイトをして生計を立てていました。
ある真夏の日、炎天下で長時間働き、心身ともに疲れ切っていた私は、仕事帰りに立ち寄ったスーパーマーケットで夕食の買い物をしました。そのとき、ふと目に留まったひと房の葡萄が、私のその後を大きく変えることになります。
夕食を済ませた後、薄暗いアパートの一室で、なんとなくその葡萄を描いてみたいと思いました。誰かに見せるためではなく、ただ自分一人のためだけの時間でした。
そこで、ずっと忘れていた感覚が静かに蘇ります。絵を描くことが、純粋に楽しかったのです。
就寝前の1、2時間を充てながら、約1週間かけてその葡萄を描き上げました。至福の時間をともに過ごした葡萄は、描き終える頃にはすっかり干からびていました。
紙に鉛筆で描かれたその絵を、私は「YF1」と名付けました。
美大を卒業した後の苦しい生活の中で、自分の進むべき道を見失っていた私は、借り物のコンセプトや表面的な美しさに流されていました。しかし、この一枚を描いたことをきっかけに、一からやり直そうと決意します。

目の前の対象をただひたすらに描き、同時に、できる限り理性的でありたいと思いました。画面の中央より下に重心を置き、対象全体をていねいに描き進めていきます。自分の目でしっかりと見つめ、自分の手で描くこと。使用する材料も紙と鉛筆だけという、できる限りシンプルな方法を選びました。流行や真新しさに左右されることなく、自分だけの表現を見出したいと考えたからです。
私の油彩画では、対象の一部が画面からはみ出すようにトリミングすることが多いのですが、鉛筆画では対象全体を描いています。それは油彩画のための下絵でもなければ、ドローイングやデッサンでもありません。私にとって「鉛筆画」は、それ自体で独立した一つの表現なのです。
2003年、あの葡萄を描いた日の感覚を、これからも大切に守り続けていきたいと思っています。
