
平野古陶軒について
昭和11年(1936年)、大阪にて創業した東洋古美術専門店「平野古陶軒」。中国陶磁・李朝陶磁を中心とした古美術品を、初代から三代にわたり国内外の美術館やコレクターへ紹介してまいりました。現在は東京・京橋にて、確かな鑑定眼と評価鑑定の実績をもとに、古美術との新たな出会いをご提供しています。
代表・平野龍一について詳しくはこちら →創業からのあゆみ
1936 — 創業
初代・平野龍治 ー 創業の物語

平野古陶軒の創業者・平野龍治は、明治43年(1910年)、大阪の農家の四男として生まれました。旧制中学校を卒業した後、古美術業界で身を立てていた兄・龍治郎の紹介により、中国美術を専門に扱う浅野竹石山房へ入門します。浅野竹石山房は、後に「中国美術の生き字引」と称された浅野梅吉が営む古美術店でした。主人に同行して北京や上海を訪れ、中国大陸の美術に直接触れる機会を得たほか、世界的な美術商であった山中商会のために数千点もの美術品を斡旋するなど、若くして豊かな経験を積みました。昭和9年(1934年)には嘉納治兵衛氏による白鶴美術館開設の準備にも携わり、中国陶磁・青銅器についての知見をさらに深めています。
7年にわたる修業を終えた龍治は、昭和11年(1936年)2月26日、大阪・平野町にて平野古陶軒を創業しました。屋号「古陶軒」は、恩師・浅野梅吉より授かったものです。すでに北京で古美術商として成功を収めていた兄・龍治郎の人脈と、買い付けた優れた青銅器の数々が、創業間もない平野古陶軒を大きく支えました。
創業の翌年、龍治は生涯を通じて特別な存在となるお客様と出会います。北九州・門司の古美術商を通じて紹介されたのが、後に出光興産を築く出光佐三氏でした。青磁を愛した出光氏との縁は、その後長きにわたって続き、平野古陶軒にとってかけがえのない関係となります。
しかし、日中戦争、そして太平洋戦争へと時代は暗転し、昭和18年(1943年)、平野古陶軒は一時閉店を余儀なくされました。
1947 — 戦後の再建
平野古陶軒の発展 ー 戦後の再建と世界への広がり

終戦から2年後の昭和22年(1947年)、龍治は大阪市北区老松町に店舗を新築し、平野古陶軒を再開します。中国からシベリア抑留を経て帰国した兄・龍治郎も店に加わり、二人三脚での再建が進められました。
昭和33年(1958年)には日本経済新聞社の圓城寺次郎氏が来店したことをきっかけに親交が始まり、また朝鮮・中国陶磁の収集家として知られた安宅英一氏も頻繁に訪れるようになります。昭和41年(1966年)、龍治が安宅氏に納めた鴻池家伝来の名品「飛青磁玉壺春瓶」は、現在国宝として大阪市立東洋陶磁美術館に所蔵されており、平野古陶軒の目利きを象徴する一点となっています。
やがて龍治は、E.T. Chow、Jean Pierre Dubosc、Roger Bluetteといった世界的に活躍する古美術商やコレクターたちとも交流するようになり、平野古陶軒の名は国内にとどまらず世界へと知られていきました。この時代に培われた国際的な視野と信頼関係が、次の世代へと受け継がれていきます。
1971 — 二代目
二代目・平野龍夫 ー 世界への飛躍

龍治の子・龍夫は昭和14年(1939年)に生まれ、関西学院大学在学中に父の外商に同行するうちに古美術の世界に魅せられていきました。大学卒業にあたり家業に入りたいと申し出た龍夫に、龍治は「まず他のジャンルで修行を積むように」と諭し、東京・銀座の彌生画廊を紹介します。9年に及ぶ修業を経て、龍夫はついに独立を決意。父のいる大阪の店を継ぐのではなく、平野古陶軒の将来を見据えて、昭和46年(1971年)3月、東京・銀座に平野古陶軒東京店を開店しました。
海外市場の重要性をいち早く見据えていた龍夫は、サザビーズ、クリスティーズをはじめとする海外オークションに頻繁に足を運びました。交友関係は世界へと広がり、ロンドンのGiuseppe EskenaziやRichard Marchant、香港の兼葭荘(Joseph Chan)、ニューヨークのJames J. Lallyといった、世界を代表する古美術商たちと親交を重ねていきました。昭和56年(1981年)、ロンドンのオークションで「宣徳青花雲龍文壺」を当時の中国陶磁として史上最高値で落札したことは、平野家にとって忘れがたい出来事として語り継がれています。この逸品は後に出光佐三氏の手に渡り、現在も出光美術館に大切に所蔵されています。
昭和63年(1988年)には創業50周年を迎え、これまで手がけた作品の中から101点を選りすぐった図録『古陶軒撰華』の制作を進めました。龍治自らも図録に寄せるあいさつ文を書き上げましたが、その完成を目前にして永眠し、刊行された図録を見ることは叶いませんでした。また同じ頃、日本の美術市場に新たな取引の場を築くべく、昭和62年(1987年)には盟友たちとともに「シンワアートオークション」を設立し、自ら壇上に立つオークショニアとして、長く美術業界の変革を牽引しました。

2007 — 三代目
三代目・平野龍一 ー 新たな時代へ

龍夫の子・龍一は昭和46年(1971年)に生まれ、大学で経済学を修めた後、平成6年(1994年)に父もかつて学んだ彌生画廊へ入社し、美術業界での経験を積み始めます。13年間の勤務を経て、平成19年(2007年)、東京・京橋に平野古陶軒を再興しました。
独立から5年ほどが経った頃、龍一はサザビーズより中国美術のシニアスペシャリストとして招かれ、一旦店を離れることを決意します。ニューヨーク、ロンドン、パリ、香港を拠点に世界中の美術品と向き合った7年間は、日本法人の代表取締役としての経験も含め、龍一に類まれな知見と人脈をもたらしました。
そして平成30年(2018年)10月、龍一は平野古陶軒の代表として京橋の店に戻り、お客様と直に作品へ向き合う美術商本来の仕事へと帰ってきました。初代・龍治の目利きと、二代目・龍夫が切り拓いた世界水準の視野を受け継ぎながら、平野古陶軒は今日もなお、東洋陶磁・中国陶磁・李朝陶磁を中心とした古美術の新たな出会いをお届けし続けています。
国内外美術館への収蔵実績
平野古陶軒が手がけた美術品は、創業以来、国内外の名だたる美術館に収蔵されてまいりました。初代・龍治が安宅英一氏に納めた「飛青磁玉壺春瓶」は、現在国宝として大阪市立東洋陶磁美術館に所蔵されているほか、二代目・龍夫が手がけた「宣徳青花雲龍文壺」をはじめとする数々の名品は、出光美術館に大切に受け継がれています。
国内
- 出光美術館
- 大阪市立東洋陶磁美術館
- 京都国立博物館
- 根津美術館
- 白鶴美術館
- 泉屋博古館
- 大阪市立美術館
- 天理参考館
- 愛知県陶磁美術館
- 滴翠美術館
- 逸翁美術館
- 香雪美術館
- 黒川古文化研究所
- たましん歴史博物館
- 出羽桜美術館
海外
- ヴィクトリア&アルバート博物館(ロンドン)
- ギメ東洋美術館(パリ)
- フリーア美術館(ワシントンD.C.)
- ボストン美術館
- シカゴ美術館
- サンフランシスコ・アジア美術館
- セントルイス美術館
こうした国内外での収蔵実績は、三代にわたって培われてきた確かな目利きと、美術品への深い理解に対する評価の証といえます。

わたしたちが大切にしていること
平野古陶軒が大切にしているのは、価格や評価額ではなく、時代を越えても色褪せることのない「普遍的な美」を見極めることです。真に美しいものは、幾百年の時を経てもなお新しく人の心に語りかけてくる――そう私たちは考えています。
新しく仕入れた作品を、すぐに売りに出すことはありません。まずはしばらくの間、店や身近な場所に置いて眺め、日々の暮らしの中でその作品と過ごしながら、少しずつ理解を深めていきます。文献を調べ、心から良さがわかったと思えるようになって初めて、次の持ち主のもとへお届けします。中には、手放すまでに何年もの歳月がかかる作品もあります。
また、古美術を床の間に飾るだけの特別な存在にとどめるのではなく、現代アートと並べて楽しむなど、時代やジャンルを越えた自由な楽しみ方もご提案しています。古きものの中にこそ、永く変わらぬ輝きがある。その価値を、日々の暮らしの中でこそ感じていただきたいと願っています。
